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縁なき衆生は度し難し
先日ウスサマ明王のお札を求めてOさんと言う方が
寺に訪ねて来られました。
毎年除夜の鐘を撞きに詣られた方にお渡ししたり、ある会社が
年始にご利用してくださっていました。、
年に数人は◯◯で見たので、聞いたのでと寺に求めてこられます。

生憎私は留守でお札はしっかりしまい込んでしまった
ため、妻も探せず『明日ならば住職も毘沙門祭礼の祈祷が
あるから必ず寺にはいますから。』と応対しお帰りいただきました。
本当にこの寒い中また尋ねて来られるのか私は半信半疑でした。
翌日御祈祷も終わり、お堂から出るとなんと0と名乗る方が声を掛けて下さいました。
『ある処で目にし,このお札が欲しくなり執念でやっとこのお寺を探しあてました。』とのこと。

お札をお渡しし、暫くするとまたOさんが尋ねて来られ、『お願いがあります。』とのこと
玄関先も寒いからと内に招き入れお話を聞くと、境内にあるモガシの大木に凄く生命観があり
魅かれるものがあり、手を合わせたくなりました。あの木にお酒を注いでも良いかと言う。
『私って変ですか?』言う0さんに
『ちっとも変じゃないですよ。木でもいい、石ころでもいい
手を合わせると言うことはその物を崇拝する事、その物から力を分けてもらうこと
やがてその心は先祖さんの位牌であり石塔に通ずるものなんですよ。』とお答えしました。
大木


【縁なき衆生は度し難し】という言葉があります。
慈悲深い仏であっても、仏の教えに関心がなかったり、
仏縁を求めようとしない者までは救うことができない、というたとえ。

oさんはその仏縁を自ら求めて来て下さったのです。
あの時 妻が探しえてお札をお渡ししていれば、
貴方とこんなお話しをする事も出来なかったし、
大日祭礼にご招待することも出来ませんでした。

Oさんにみ仏のご加護あらんことを祈念申し上げます。


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