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戦争と岳父
曹洞宗三重県第一宗務所主催の人権現地学習会に参加させて戴きました。

14日 宿泊ホテル内での 内海愛子先生の講演
15日 現地学習として 千鳥ヶ淵戦没者墓苑での慰霊法要と靖国神社(資料館見学)

『遺骨の戦後史』と言う演題での内海愛子先生のご講演をお聞きしながら、
ふっと 岳父のことを想いだしました。

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義父はシベリアで捕虜となっていたこと、飢えをしのぐために履いていた革
靴の底を喰ったということ以外は義母や子供たちに何も語ろうとはしなかっ
たそうです。

内海先生の講演の中で
《戦死と死亡の間に死亡の差別化があったこと。》
《捕虜になることは死を意味する。捕虜になれないような法体制が布かれ
ていた。》とお話されました。

シベリアから復員してきた義父には喜びを表に出すことのできないような、
戦中の軍事教育が暗く心の中を覆うっていたのでしょう。

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  14日 千鳥ヶ淵戦没者墓苑では参加者全員での慰霊法要

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千鳥ヶ淵戦没者墓苑の左奥にシベリアで戦死された方々の慰霊碑を見つけました。
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もしも 義父が戦時中の悪しき軍事教育に負け洗脳されていたら・・・。
私と妻の出会いもなかった・・・。

「よくぞ生きて帰ってきて下さった。」
極寒のシベリアで、幾多の試練を耐え忍び生きて帰ってきた義父だから。
慎ましい生活をし、良く働き、川崎市内の郵便局の局長を最後に定年退職後
も殆ど身体を休めることはしなかった。
夕飯時の晩酌を細やかな楽しみとしていました。

そんな義父を妻や私はとても誇りにおもいました。
昨年7月14日 行年で99歳で亡くなりました。

栖雲寺境内には義父が遺した紅白の枝下梅が毎年奇麗な花を咲かせます。

7月3日には子どもや孫達で、義父の小祥忌(壱周忌)の法要を行います。
                             合掌
                         
                 (写真提供 興禅寺 白鳥黙践師)

 


  
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