花まつり
5月8日 はひと月遅れのお釈迦さまの誕生日です。
花まつり(灌仏会(かんぶつえ)とか 降誕会(ごうたんえ)とも言います。

午前10時から栖雲寺梅花講員の皆さんと共に 降誕会(ごうたんえ)の法要をおこないます。
本堂に甘茶も用意しています。
皆さん ご賞味ください。

甘茶は薬草です。 
とても身体に良いですよ!
そして 甘茶で擦った墨で字を書くと 筆も上達するそうですよ!
ぜひ お越しください下さい。

夕刻まで本堂に花御堂と甘茶が用意されています。

なぜ ひと月遅れなのかは定かではありませんが、
4月8日頃はまだお花が少なかったからとか
国府のお寺の花まつりにあわせたとか・・・。
お釈迦さまは生まれると、すぐに七歩ほど歩み、右手で天を、
左手で地を指さして天上天下、唯我独尊、三界皆苦、我当度之
「人は誰でもこの世に一人だけであって予備の人間はいない。命は貴い
ものである。私は苦しむ人々を救うことを第一としよう」といいました。
すると天に住む竜が感激して甘露の雨を降らしたといいます。
花祭り
花御堂はルンビニー園(インドとネパールの国境近く)を、甘茶は龍が
降らした甘露の雨を表わします。
 いろいろな花で飾った小さなお堂(花御堂)の中に、甘茶の入った水盤を置き、あかちゃんの姿のお釈迦様の像(誕生仏)を祀ります。ときにはこの花御堂を白い象にのせて練り歩きく場合もあります。お参りの仕方は、誕生仏の頭からひしゃくで甘茶をそそいでお参りします。お釈迦様の父親は釈迦族の王様で浄飯王、母親は摩耶姫といいます。出産のため実家に向かう途中のルンビニー園で生まれました。
 花まつりは、インドや中国でも古くから行われている行事です。日本では推古天皇の時代(606)に元興寺で初めて行われました。お釈迦さまの誕生を祝い、お釈迦さまの智慧と慈悲の教えを信じてゆくことを誓う日です。また、子供がすくすくと育つことを祈る日でもあります。

学習会
先日 近隣の住職参加の人権学習会が開催されました。
『いのちの大切さ・重さ』をテーマに掲げ
宗務庁から送付されたDVDを視聴し、後98年以降急速に増加した
【自死】について討論しました。

交通事故死の6倍にあたる年間30.000人にのぼる方々が自ら命を絶ていきます。
そして、その4割が40〜60代の男性だそうです。

視聴したDVDの中で 
東尋坊で「人命救助活動」をしているNPO法人 心に響く文集・編集局
代表 茂 幸雄さんの言葉が耳に残ります。
『本当はあの人たち(自殺志願者)は一人も死にたくない。
【助けてくれ】と言う叫び声を挙げているんですよ。
あの人たち(自殺志願者)は追いつめられているから、
避難場所がいる。
そこが宗教団体であり、お寺である。』と訴えられています。
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私たち僧侶は本当にお寺の門を開いているのか?
檀信徒の方々の悩みに耳を傾けていたのであろうか?
討論を進めていくと
なんと『自殺の悩みを打ち明けられた。』
『その苦しみ・悲しみを体験した。』
『過去のお葬式に自死の方があった。』などなど
大半んの住職が、何らかの自死の関わりを持っていました。

【いのちの大切さ、重さ】を説いていただろうか?
檀信徒の方々の中に溶け込み信頼されていただろうか?
真摯に人と向きあい驕る事なく話に耳を傾け聴いていただろうか?

自身の日々の生活・布教活動を顧みる貴重な一夜となりました。





縁なき衆生は度し難し
先日ウスサマ明王のお札を求めてOさんと言う方が
寺に訪ねて来られました。
毎年除夜の鐘を撞きに詣られた方にお渡ししたり、ある会社が
年始にご利用してくださっていました。、
年に数人は◯◯で見たので、聞いたのでと寺に求めてこられます。

生憎私は留守でお札はしっかりしまい込んでしまった
ため、妻も探せず『明日ならば住職も毘沙門祭礼の祈祷が
あるから必ず寺にはいますから。』と応対しお帰りいただきました。
本当にこの寒い中また尋ねて来られるのか私は半信半疑でした。
翌日御祈祷も終わり、お堂から出るとなんと0と名乗る方が声を掛けて下さいました。
『ある処で目にし,このお札が欲しくなり執念でやっとこのお寺を探しあてました。』とのこと。

お札をお渡しし、暫くするとまたOさんが尋ねて来られ、『お願いがあります。』とのこと
玄関先も寒いからと内に招き入れお話を聞くと、境内にあるモガシの大木に凄く生命観があり
魅かれるものがあり、手を合わせたくなりました。あの木にお酒を注いでも良いかと言う。
『私って変ですか?』言う0さんに
『ちっとも変じゃないですよ。木でもいい、石ころでもいい
手を合わせると言うことはその物を崇拝する事、その物から力を分けてもらうこと
やがてその心は先祖さんの位牌であり石塔に通ずるものなんですよ。』とお答えしました。
大木


【縁なき衆生は度し難し】という言葉があります。
慈悲深い仏であっても、仏の教えに関心がなかったり、
仏縁を求めようとしない者までは救うことができない、というたとえ。

oさんはその仏縁を自ら求めて来て下さったのです。
あの時 妻が探しえてお札をお渡ししていれば、
貴方とこんなお話しをする事も出来なかったし、
大日祭礼にご招待することも出来ませんでした。

Oさんにみ仏のご加護あらんことを祈念申し上げます。


父は照り・・・
先週 
A家のお父さまのお葬式
B家のお母さまのお葬式
と続けて導師をさせて戴きました。

両家ともに故人と面識もなかったので、お忙しい中それぞれに時間を
割いていただき故人の生前のお人なり、思いで話などを聞かせていただきました。

A家の喪主さまは『父は何事にも熱心で,一徹な男でした。私たち子どもにも
大変厳しかったけど、何故か優しいところばかり浮かんできます。』
側で姉妹が『そうそう。』と頷いて聞いていました。

B家の喪主さまは『母は私たち三人の姉妹を分け隔てなく平等に愛してくれ
ました。お陰様で三人仲良く母を看取る事ができました。』
『義母は本当に良い3人の娘を遺してくれました。義母に感謝しています。』
と火葬場で私に語って下さった長女のお婿さんの言葉が心に残っています。

冬草や 黙々たりし 父の愛
父は照り 母は涙の露となり おなじ慧(めぐみ)に育つ 撫子

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986-0111
母の三回忌法要も終え
意を決し 法友(和尚友達)石巻市 光厳寺の千田豊穂和尚さんを訪ねることにしました。
お逢いして直接感謝の気持ち伝えたかったし、お渡ししたいものもあったから。
突然の訪問にも忙しいであろうに、そんの素振も見せず、快くご夫婦でお付合い下さいました。

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           【 光厳寺さま】
 
発生時 御住職は来客と談話中だったそうです。
揺れが小さくなったので、寺坊の点検を一先ず終え 教区長(近隣の31寺院のまとめ役)である彼はまだ余震頻発の中、奥様の制止も振切って海岸沿いの寺院の安否確認に出掛けたそうです。
しかし 当然道路は水没、寸断止むなく帰宅。
ライフラインも完全に遮断され、近隣から僅かに伝わる話や唯一の情報源の携帯ラジオからではなかなか地元の情報は伝わらず、数日してやっと教区寺院の被災状況と避難場所が判明したそうです。
教区寺院住職がお2人、寺族が1名亡くなられ、数ヶ寺が避難生活を送っておられたそうです。
 
 あまりにも多い震災死亡者に対し一日フル稼働しても被災地の火葬場では25〜26体しか対処しきれず、隣県の山形県まで搬送し荼毘に臥される方々もいたそうです。
 大半のご遺体は上品山(標高466m)の頂上付近に集団仮埋葬され、各地の火葬場や仮埋葬地では多くの僧侶達が読経のご奉仕をされ、また寺庭婦人や青年僧侶は避難所への炊き出しを続けられたそうです。

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 本堂上の間には被災寺院檀信徒老若男女の遺骨が丁寧に安置されていました。
多い時には108体 現在でも27体が懇ろに安置されています。
お参りの方々で毎日お花は絶えないそうです。
(鈴木巴那)さんと言うまだあどけない少女の写真が目に止まりました。
まだご遺体は見つかっていないそうです。
お兄ちゃんの堅登くんも震災の犠牲になられたそうです。


石巻市 
 (11/9現在) 死者3180名 行方不明者688名 住宅全半壊 25003戸 
  仮設住宅建設7298戸100%完成〔131ヶ所) 避難所10/11全閉鎖
 (2/28現在)人口162822名 所帯数60928  
 
住職ご夫婦の案内で被災地を視察させて戴きました。

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教区ご住職が勤務中犠牲になられた【北上総合支所】

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  児童108人中 70人が死亡 なお4人が行方不明
  教職員13人中(うち2名不在)9名死亡 1名救助 
石巻市立 【大川小学校】
  被災児童鎮魂碑前は今なお献花や供物で一杯でした。
  その中に鈴木巴那という名前を見つけました。
  光厳寺の鈴木巴那ちゃんは大川小学校の生徒だったのです。
なお 表題の 986-0111は石巻市立大川小学校の所在地
 宮城県石巻市鎌谷山根1の〠番号です!!

 

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    【龍谷院さま】
  本堂はご覧の通りですが、御住職は流された庫裡(寺の住居)の2階の屋根に這い上がり数時間漂流、本堂裏に軟着陸し奇跡的にたすかりました。
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数日後発見された本堂の大馨は津波に磨かれ金ピカに輝いていたそうです。
その大馨で澤の水と玄米で粥を炊き生存者仲間と飢えをしのいだそうです。
この日はご住職も檀信徒の方々も元気に後片づけをしていらっしゃいました。

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      大型バスが屋上に上がったままの【雄勝公民館】

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          【港近くの石巻市門脇町4丁目】

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押し流された車の火花でガソリンに点火 火災で焼け焦げた
        石巻市立【門脇小学校】
幸い児童の犠牲者はなかったそうです。
奥様の母校です。

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墓石がそのままのお寺とお墓【石巻市門脇町】
 
8ヶ月を経た現在の被災地。
どの情景を目の当りにしても、足がすくみ、身震いしました。
自然の猛威・怖さを痛感させられ、切なさを感じ、自然に目頭が熱くなりました。
『何だこれは・・・・!!』後の言葉は出てきません。
唯々そこで両手を合わす事しか術はみつからないのです。

『何時来るかも解らない地震に・・・・。』『もうこの年で今更・・・。』と被災地でない私たちはついつい無関心をよそおってしまう。
 しかし 現地に立ち荒廃した情景を目の当りにした時、大川小学校の献花台に手を合わせ犠牲になた児童たちの無念の思い痛感した時、そんな安易な言葉は絶対に口に出してはいけなと改めて感じました。

 ましてや幼気な、子供たちの未来を、生命を私たちの無関心な気持ちで、安易な考えで絶対に奪ってはいけないし、巻ぞいにしてはならないのです。
私たちはこの悲しい大惨事【東日本大震災】を教訓として決して忘れてはならない、風化させてはいけないのです。
【東日本大震災】の犠牲になられた御霊の御冥福と一日も早い現地の復興を衷心より祈念申し上げます。合掌

気になって
お彼岸の中日前夜
地区内のMさんがやって来ました。
『姉(Tさん)の家の位牌が気になって・・・。』
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お姉さんは80も過ぎ、今は施設にお世話になってる身。
継承者もなく、お家には旦那さんのお位牌が仏壇に置かれたまま。
Mさんにはまだお仏壇もない。

『和尚さん、妻もそのことを凄く気にしてる、
何とかお寺でお位牌を預かっては貰えないか?』とのこと。
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当山の永代供養壇をお奨めもしたが、明日はお彼岸の中日と言う事で
お預かりをする事となりました。

毎年、お彼岸の中日には梅花講員の皆さんと一緒に彼岸の
檀信徒各家ご先祖さまと永代供養壇にお祀りしている御霊の
《報恩法要》を行っています。

当日はMさんご夫婦や檀信徒、永代供養壇のご遺族の方々
も参列されてお彼岸の《報恩法要》を終えました。
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気になるって事は信仰心の証し!!!


お地蔵さまには子どもがにあう!
8月7日から始まった当寺の長いながいお盆行事も
24日の地蔵盆で漸く終わりました。

今夏のためにと春先からプールにもジムにも通い体力をつけてきたはずな
のに、残念ながら未だに疲れが身体から抜けきれません。

一時講員の減少から開催が危ぶまれた地蔵盆の法要も、
いざ始まれば例年と変わらぬ人・ヒト・ひと。
子どもや孫の身体健全・学業成就を願う両親や祖父母で山門前は一杯。
子ども達の笑顔と元気な声に大人の顔も自然とゆるみます。

お地蔵さまには子どもがにあう!
地蔵盆は子どもが主役!
お地蔵さん

安産祈願者も他地区に嫁いだ方が3人
嫁いで来られた方が1人。

ある時は街角、ある時は山里の路傍、そして時々 私たちの心の中に。
お盆の行事の締めはやはりお地蔵さんですね!
地蔵さん